おぴまろはまーたB級映画に騙されたんかい!

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映画「リビングデッド・サバイバー」感想、ネタバレ有り ゾンビではなく孤独との戦い!

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【製作国】フランス【公開年】2018年【上映時間】93分
【監督】ドミニク・ロッシャー
【キャスト】
アンデルシュ・ダニエルセン・リー
ゴルシフテ・ファラハニ
ドニ・ラヴァン
シグリット・ブアジズ ほか

リビング・デッド・サバイバー

こんにちは、ゾンビ映画大好きおぴまろです。
突然ですが、朝起きたら自分以外がゾンビと化した世界になっていたらどうしますか?
ホームセンターに立てこもり、ゾンビに立ち向かいますか?そして、そこで出会った人間同士の対立、恋愛、友情が生まれたりして、そんな環境で生き残りますか?
私はそうは思いません。というより、そんなことはできません。なぜなら、平和ボケしている自分はゾンビという非現実的な出来事に対応する時間がかかるからです。
ゾンビ映画ではよく、平凡な生活を送っていた若者がゾンビと化した世界で、ゾンビをバッタバッタ倒していき、そこで出会った人々と協力し合う“友情活劇”が描かれていますが、実際にはそんなことができますでしょうか。ゾンビとはいえ、人を殺すという経験がないので、パニックになり手も足も出ず彼らに食い殺されてしまうでしょう。

いや、映画なんだからそんな現実的になるなよ…というご指摘もあるかもしれません。では、なぜそんな現実的なことを述べたかというと、今回紹介する映画「リビング・デッド・サバイバー」はそんな現実的な視点で描かれたゾンビ映画だからです。
内気な主人公は、パーティが開かれている元カノの家に自身のカセットテープを取りに行きますが、気乗りしない環境からかその家の一室で疲れて眠ってしまいます。しかし、目がさめると自分以外はそこにおらず、なんとゾンビがはびこる世界に!
そんな環境で生き抜こうとする主人公の孤独を描いた「リビング・デッド・サバイバー」の感想です。

「リビング・デッド・サバイバー」のあらすじ

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非社交的なサムは、元カノから私物を取り返すため彼女のパーティに渋々参加することに。人が苦手なサムは、奥の部屋に逃げ込みいつの間にか眠りに落ちてしまった。翌朝、彼が目覚めると壁は血で染められ、生きている人間の姿はなく、サム以外の人間は全員ゾンビとなってしまっていた。ゾンビに囲まれた建物に立て籠り、予測不可能なゾンビの襲来や日に日に減る食料と水に決死のサバイバルを繰り広げながら、他に生き延びた者がいないか捜索する孤独な毎日。そんな絶望的な状態の中、やっと出会えた生存者のサラ。サムは、この終末世界を彼女と共に戦い抜くことはできるのか―。

ゾンビに焦点を置いていないゾンビ映画

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さて、ゾンビと化してしまった世界をひとり生き抜く主人公を描いた本作ですが、実際はゾンビ映画というほどゾンビに焦点は当てていません。
その特徴の一つとして、ゾンビに効果音が使われていませんゾンビ映画の大半は、ゾンビのうめき声や捕食の効果音などのエフェクトが使われています。しかし、本作はゾンビが一切うめきません。ただひたすらものすごい形相で獲物を追います。もしも、派手な演出を期待した方からしたら物足りないかも知れません。
しかしながら、本作はゾンビと戦うというより、ひとり取り残された主人公が生き延びようとする中で生まれる“孤独感”をメインに描いています。まさに、ゾンビが溢れる世界に直面した際に、自分は手も足も出ないだろうという現実的な行動が本作では描かれています。したがって、主人公はアパートから一歩も出ず、ゾンビとはほとんど戦わずアパート内で食料を調達したり、安全な環境を確保しようと試みます。冒頭から中盤にかけてこれといった進展はなく、主人公の生々しい生活の様子が続きます。

本作における「音」の存在

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本作は現実的な映画だと述べましたが、そんな背景を強調するためか、「音」がふんだんに使われています。
非現実的な環境にひとり取り残されて現実的な生活を強いられるとなるとどうなるでしょう。私の場合はすぐに“現実逃避”してしまいます。それは、自分のいる環境が“非現実的”だからこそ現実だと信じたくない気持ちが芽生えるわけで、だからこそ現実から逃げたくなるものです。本作の主人公もそうであり、ひとりで生活するにつれ現実逃避します。そこで得意のドラムを爆音で演奏したり、グラスや食器、水などを使い楽器を作り、音楽に合わせて演奏したりと気を紛らわせます。
何が言いたいかというと、「音」をふんだんに用いて主人公の“孤独感”を強調し、主人公に感情移入させるために、このような世界観を醸し出している印象があるということです。そのため、上記でも述べたようにゾンビには一切の効果音が使われておりません。それは、ゾンビという“非現実的な存在”を目立たせるのではなく、その環境で生きていかなければならないという主人公の“現実的な環境”を強調するため、印象的な“音”を奏でて目立たせるという監督の意向なのではないかと私は考えます。

後半に色々考えさせられる映画

※以下、作品に関わる大きなネタバレを含みますのでご注意ください。

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 「リビング・デッド・サバイバー」のパッケージを見ると、男女が荒廃した街をバックに武器を持って立ち尽くしているので、主人公とヒロインがゾンビと戦い、街を駆け抜けるアクション風な作品かと思います。しかし、蓋を開けてみると内容はむしろ真逆の展開であり、主人公はアパートにこもったまま動きません。そして、パッケージのヒロインと思しき女性も後半に入るまで登場しません。そのため、あまり展開はなく退屈な時間が続くのですが、後半に入り大きく展開していきます。
後半に差し掛かり、やっと主人公の前にヒロインが登場します。しかし、主人公は長期間自分以外の人間に出会ってないせいか、ドア越しに現れた女性をゾンビと勘違いしショットガンで発砲してしまいます。被弾したヒロインは瀕死に陥りますが、主人公の手当てもあってか、翌日には意識が戻ります。しばらく彼女と生活し、彼女はゾンビから身を守るためにアパートからの脱出を提案しますが、主人公は反対します。しばらくして主人公は自分が間違っていたことに気づき、ヒロインのいる部屋に行きますが、ふと主人公は我に帰り、あることに気づきます。
なんと、彼女は撃たれた時点で既に死亡しており、今までの時間の中にいた彼女は全て主人公の妄想だったのです。それは主人公が長いこと孤独な生活を強いられていた事、そしてなにより久しぶりに出会った人間を殺してしまったという“現実逃避”が生んだ幻であったということです。つまり、ヒロインの女性の脱出したほうがいいという考えは、主人公自身の考えであり、現実的な考えから逃げるための虚像を作り出していたことになります。
本作の後半に差し掛かり、これらの考えさせられる展開が起こったため、冒頭から「この映画はハズレだ」と思いながら観ていた私は、考え方が大きく変わるきっかけとなりました。

良かった点/悪かった点

良かった点は、他のゾンビ映画には少ない“現実的”な表現が多い点です。一歩間違えればただの退屈な映画となりうるジャンルではありますが、実際にゾンビが溢れかえった世界で生活すると考えたらこのようなことになるでしょう。それをあえて映画でも描いていくというのはとても新鮮だと思いました。そして、後半から予想だにしなかったどんでん返しがあるところも意外性がありました。

悪かった点は、パッケージに期待してしまうと本編で退屈してしまう点です。パッケージが壮大な雰囲気なので、かなりの展開を期待してしまうのですが、内容はドラマ風なので落差が激しくなってしまいます。いつものゾンビ映画のような臨場感、爽快感を期待してしまうと残念に感じてしまうかも知れません。

まとめ

・現実的な作風が新鮮で良い!

・後半からの予想外の展開が見どころ!

・現実的過ぎて少し退屈してしまう!

評価:60点(100点満点中)

見方によっては楽しめる作品でした!